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エッサイ

2013 / 07 / 23

のんびり

のんびり

よく人から、「のんびりしてますね」と言われる。ある先生からは、会うたびに、
「佐藤先生は、いつも優雅な感じでいいですね」と言われる。優雅はほめすぎだけれど、
先日、私がゼミの学生に、「君もゼミ長なのだから、もう少ししっかりしなさい」と声をかけると、
「すみません、先生ののんびり病が移ってしまったみたいで」と答えが返ってきた。これには、さすがにこちらも返す言葉がなかった。

ただ、自分の性格の肩を持つわけではないが、時代は、のんびりの方向に向かっていると確信している。
近ごろはメールやフェスブックで、のんびりどころではありません、という人も多いと思うけれど、
これは過渡期の症状で、こんな精神的重労働が長く続くとはとても思えない。

のんびりの時代がやってきた理由のひとつは、社会全体の軸が、大きく生産から、
消費へ移っているからだ。生産と消費の厳密な分け目は、経済学の世界でもない。
しいていえば、時間ゆっくり活動が消費、時間せっかち活動が生産なのだ。
たとえば、野菜を作るという活動も、農家の人が寸暇を惜しんで作れば、それは生産行為で、
サラリーマンが休日にのんびり家庭菜園で野菜を作れば、消費行為になる。
また、そのサラリーマンが、仕事に追われて、お昼ご飯を5分でかき込めば、むしろそれは生産行為なのだ。

その意味でいえば、どうみても今の若い人たちは、消費の方に軸足があるから、今後、日本人が時間ゆっくり型生活になることは間違いない。

さらに付け加えれば、生産行為そのものも、時間節約型から、時間無関係型に移りつつある。
知識社会は、脳のシナプスの接続加減だから、それは超高速の世界であって、まさにひらめき次第なのだから、
制限時間などあってもなくてもかまわないのだ。のんびりだろうが、せっかちだろうが、むしろ、成果次第という世界なのである。

とはいえ、教え子に自らののんびりが伝染するようでは、教育者として、大いに反省ものだと思っている。