現代アートのイベントが全国で盛んになっている。ここ大津市でも、子供たちを対象にした
「びわ湖・こどもアートセッションin大津」が間もなく開かれる(11月24日)。こんなとき、よく聞かれるのが「子供に現代アートがわかるのでしょうか」ということだ。
たしかに、抽象的なアート作品となると、大人でもわかりにくいものが少なくない。
私でも、そうした展覧会場で、胸ゆさぶられる作品に出会うことはそう滅多にないというのが正直なところだ。
まして子供たちとなれば、わかった、というところまでたどりつくのは、まずむつかしいだろうと思う。
ただその一方で、わからないのだから見せても仕方がない、というのも間違いだと思っている。
私のふる里の山口県宇部市では、ビエンナーレ形式の現代野外彫刻展が、1961年から開かれている。
そこに出品されるのは、抽象的な作品がほとんどだから、かなり早い時期から先進的な取り組みを行っている町なのである。
何年か前、展覧会に合わせて開かれたシンポジウムの場でのことだった。ディスカッションを終え、質問の時間に入ったときのことだ。
一人の年配の参加者から、こんな発言が飛び出した―「私は、この彫刻展を少しも評価しない。
なぜなら、彫刻というのは、もっと誰にでもわかりやすい、人物の彫刻だとか動物などを彫ったものを言うのであって、
ここにあるようなわけのわからないカタチをしたものを、とうてい彫刻などと呼ぶことはできない」といった発言だった。
会場は、一瞬、氷ついたような雰囲気につつまれてしまった。壇上でマイクを回してもらった私は、およそ次のようなことをしゃべった。
「人だとか動物だとか、そういう具体的なものが優れていて、そうでないものは認めないというのは、思い込みに過ぎないのではないでしょうか。
例えば、ネクタイの柄はどうでしょう。むしろ抽象的な柄の方が多くはないでしょうか。そこに仏様や鶴の絵などが付いていたらおかしいでしょう。
ネクタイの柄は慣れているから抽象的なデザインでも不思議に思わない。彫刻も慣れれば同じことです」。
子供たちが大きくなって、「こんなのはアートじゃない」と言わないように、小さいころから、
そうした作品にふれる機会をできるだけたくさん作ってあげることが、大人の責務なのだと思う。