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2014 / 08 / 16

BIWAKOビエンナーレ

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BIWAKOビエンナーレ

北山善夫 土田家北山善夫 土田家

BIWAKOビエンナーレ

今年で5回目を迎える、BIWAKOビエンナーレが、9月15日から11月4日まで、滋賀県近江八幡の市街、そして東近江市の五個荘(ごかしょう)で開かれる。その準備作業を見てきた。今回、出会ったのは、4人の作家と、準備中の4つの作品。どれも、オープニングの日が待ち遠しいものばかりだ。

とくに、1982年のヴェネチアビエンナーレの日本代表アーチストでもある北山善夫(きたやまよしお)の作品は、生活空間を借りたインスタレーション作品としては、世界的レヴェルから見ても、最高水準の出来ばえに仕上がっている。

北山善夫 土田家北山善夫 土田家

作品は、五個荘の近江商人屋敷がかたまった金堂地区からは少し離れたところにある、土田家という、今は使われていない民家の座敷を借りての空間が舞台。

北山によれば、作品を通して言いたいことは、今回の東北大地震のような大災害も、それが起こってしまうまでは、まるでおとぎ話のような非現実的な世界にすぎない。だが、それが実際に起こってしまうと、そのおとぎ話が、私たち自身を、茫然自失させてしまうほどの現実の悪夢へと一変してしまう、という恐ろしさだと語る。まさに今回の作品は、そうした非現実世界が現実化してしまったときに起こる、言いようのない非現実感が見事に表現されている作品となっている。そして、五個荘という深い時間の流れを感じさせる中での表現は、おそらく、こうした作品に出合うことは、将来とも、ほとんど不可能に近いと思わせるくらいの迫力をもってせまってくる。

寺田忍寺田忍

土田家からほど近い場所で、作品づくりに汗を流していたのが、寺田忍(てらだしのぶ)。道路を隔てた酒屋の倉庫を借り切り、それをまるまる梱包していた。梱包のアートといえば、すぐに思い出すのがクリスト(1935? ブルガリア)だが、今回の寺田の梱包の意図は「傷と癒し」。いったん、すべり止め用のさらしを巻いたその上から、さらに一巻き9メートルの長さの包帯を用い、すでに500本使い終わったという。それでも、炎天下の中、8月1日から開始した作業はまだ終わっていなかった。途中、暑さで一日倒れたという執念の癒し作業の成果に注目したい。

徳常広明 中江準五郎邸徳常広明 中江準五郎邸

五個荘町の中心、金堂地区にある近江商人屋敷のひとつ中江準五郎邸の二階で作品制作をしていたのが、徳常広明(とくつねひろあき)と染色家の坪倉優介(つぼくらゆうすけ)。広い庭を持つ中江邸の、窓が開け放たれた二階からは、庭の緑とまわりの美しい家並が望める。
徳常はその一室を、4000個もの陶器の小さなオブジェで埋めた。作品のコンセプトは「蝕む(むしばむ)」。細胞やカビがはびこり、何かを侵蝕していくようなイメージだとする。その白い陶器の集団は、どこか途上国のバラックの小さな家の集団のようでもあるし、徳常の言うように、突然の異界から現れたインベーダーのようでもある。それが座敷や床の間をはいまわる不思議さは、見るものを、しばしたじろがせる。

染色家の坪倉は、草木染めの着物三着を、坪倉作品のある隣室の座敷に展開する。そのうち二着は、ハスの葉と、ひまわりの花びらで染めたもの。それぞれ、金属の定着液が違うため、発色に差があるところが興味深い。銅の定着液を用いたものは黄味を帯びたものに、鉄を用いた方はグレー色に仕上がっている。そしてもう一着は、どんぐりをベースにして染められ、袖や裾部分に、墨色のバラ模様が描かれている。その黒いバラの絵柄には、実際の黒バラのエキスを入れた墨が用いられているという。草木染めの世界でも、ふつう用いられない素材を使った染色作品は、こうした世界に興味のある人なら、ぜひ足を運びたい場所のはずだ。

こうして坪倉は、大商人の伝統屋敷を正面からとらえた作品をしつらえ、一方、徳常は、それとは似ても似つかぬ不思議な異空間を作り上げた。その意味で、両作品がおもしろいコントラストを作り上げている点も、中江邸二階の見どころのひとつと言ってよい。

左|坪倉優介 中江準五郎邸 / 右|中田洋子さん 五個荘にて左|坪倉優介 中江準五郎邸 / 右|中田洋子さん 五個荘にて

今回のビエンナーレも、参加作家たちはもちろんだが、それを陰で支えるさまざまな人々の尽力で成り立っている。とくに注目したいのが、ビエンナーレの総合ディレクターとして、第一回からこのイベントを切り盛りしてきた中田洋子さん(写真)。今回のビエンナーレだけでなく、ふだんから、NPO法人エナジーフィールドの常務理事として、さまざまな活動にたずさわっている。

中田さんは、ニューヨークに3年、マニラに10年、パリに17年と海外生活が長い。そこで見て来たものは、人々の生活とアートの絆の深さ。海外では、それが古典的なものであれ、現代アートであれ、それらに触れ、親しむことは、人間らしい生活の一部として定着している。近江八幡に居を構え、滋賀の風土をベースに、そうした当たり前の暮らしをこの地に実現させようというのが、彼女の夢である。

今回の作品群の力を見るかぎり、中田さんのその夢も、ほぼ現実に近づきつつあるような気がしてきた。