渡岸寺(どうがんじ)観音堂(向源寺)
渡岸寺(どうがんじ)観音堂(向源寺)
もしも誰かが、渡岸寺の観音堂にある国宝十一面観音像を、日本で一番美しい仏像としてあげたとしても、それほど無理はないと思う。
もちろん人によっては、たとえば法隆寺の百済観音や中宮寺の如意輪観音、宇治平等院の阿弥陀如来、京都広隆寺の弥勒菩薩、そして、最近人気の興福寺の阿修羅像などのお像の名前をあげるかもしれない。でも、このお寺の十一面観音菩薩像は、それらとくらべても、ほんとうに勝るとも劣らない美しさなのだ。
渡岸寺は、長浜からさらに北陸線を北に行った高月(たかつき)という駅から、歩いても5分くらいの距離。その昔、天平八年(736年)、奈良の大仏さまの建立で知られる聖武天皇が、都にはやった疱瘡(ほうそう)の病の流行をしずめるために勅願を発せられ、泰澄(たいちょう)というお坊さんが、十一面観音像を彫り、観音堂を建てたのが、お寺の始まりだ。
境内は、静かな湖北の自然にかこまれ、神秘的なお像がたたずむのにふさわしい雰囲気。今、十一面観音がおさめられているのは、観音堂のとなりの収蔵庫で、火災にも強そうな近代的な建物に。ふつう、多くの像はお堂の中にあって、お像と見る人の間に距離があったり、灯明だけの暗がりの中でよく見えなかったりする。でも、この収蔵庫に入ったとたん、まるで博物館の展示で対面するような驚きが。しかも、ガラスケースに収められた状態ではなく、じかに対面できるのがうれしい。
お像の高さは約1.95m。台座の分も加えると、やはり見上げるような高さ。対面してすぐに気づくのは、そのお身体が、腰のあたりでしなやかにねじられていること。その左足に重心のかかった姿は、まるで生きていられるような感じがする。
そして、もうひとつの特徴は、普通の彫像のように、とても立体性に富んでいること。もともと仏像は、人々が救いをもとめて拝むもの。そのため、どちらかといえば正面性が強調され、立体性を欠く像が多い。けれど、このお像は、頭の後ろ向きの部分にも、お顔がくっついていることからわかるように、後ろから見られることもちゃんと意識して作られているのだ。
十一面のお顔とは、善良な人々に楽をもたらす、やさしい表情の「慈悲相」、邪悪な人々をいましめて正しい道に向かわせる、怒りの表情の「瞋怒(しんぬ)相」、むすんだ唇の下から牙をのぞかせて、そして、仏道にはげむ人々を励ます表情をした「伯牙上出(はくげじょうしゅつ)相」がそれぞれ三面ずつで、全部で九面。慈悲相はほぼ正面に、瞋怒相は向かって右側、伯牙上出相は、向かって左側にくっ付いている。
それと、頭の後ろにくっ付いている、ちょっと奇怪な表情をした暴悪大笑(ぼうあくだいしょう)相が一面。このお顔は、世の中に起こるあまりの悪行の数々に、もう、大笑いでもって、それを打ち払うしかないという表情なのだそうだ。うーん、何だかわかるような気もする。そして、正面の阿弥陀如来の化仏(けぶつ)である小さなお像を加えて、全部で十一面。
どうして、こんなにたくさんのお顔が必要なの? 今の私たちの気持ちからすれば、そんな思いも。けれど、病や災害、厳しい自然、人間同士の争いごとなど、多くの人々は、それらに対して、なすすべがなかったに違いない。そんな中にあって、怒り、励まし、そして慈しんでくれる十一面観音さまのお姿は、とてもありがたいものだっただろう。
その意味でいえば、今の私たちは、このお像を前にして「美しさ」を感じるのだけれど、当時の人々にとってはおそらく、思い描く「理想」のお姿の観音さまだったのではないだろうか。
*現在、十一面観音像のある渡岸寺観音堂は向源寺に属しますので、表記は「渡岸寺観音堂(向源寺)」としました。