ヴォーリーズ建築・その1 旧八幡郵便局
ヴォーリーズ建築・その1 旧八幡郵便局
ヴォーリーズ(1884?1964年)の名前を知っている人は、少し建築に詳しい人。ただ、ヴォーリーズの名前を知っている人も、知らない人も、メンソレータムという塗り薬の名前は聞いたことがあるはず。そのメンソレータムの会社を、日本で最初に興した人がヴォーリーズだ。
どうして、メンソレータムという塗り薬と建築が関係あるの? と、二つは結びつかないかもしれないけれど、この人の中では、きちんと両立しているのだ。
アメリカ生まれのヴォーリーズは、コロラド大学在学中にキリスト教の外国伝道を志し、1905年(明治38年)、滋賀県立商業学校(現八幡商業高等学校)の英語教師として、この近江八幡の地にやってきた。二年間、教師をつとめたあと、布教活動の資金集めのために、彼は独学で建築の勉強を始める。後にメンソレータムの会社を興したのも、実は、福祉事業や布教活動に必要な資金集めだったというわけだ。
ヴォーリーズが生涯に残した建築は、千数百とも言われる。それらは北海道から九州、さらには中国や朝鮮半島までにも及ぶ。東京なら、神田にある山の上ホテルがそう。洋風なようで、私たち日本人にもしっくりと馴じみやすく、あたたかい感じのする建物、それがヴォーリーズ建築の魅力だ。その上、ひとつひとつの建物はとても個性的。たとえば、京都の四条通り沿い、鴨川べりに立つ東華菜館(「これ見たことがある!」とうなずく人もきっと多いはず)、大阪なら、大丸心斎橋店もヴォーリーズによる建築だ。
そんな中、今回は、近江八幡にあるヴォーリーズ建築のひとつ、旧八幡郵便局を訪ねてみることに。近江八幡の観光マップを広げると、ヴォーリーズの残した建物がいくつか見られるが、その中でも、旧八幡郵便局は、予約なしで建物の中まで見学することができる、ヴォーリーズの貴重な建築遺産なのだ。
旧郵便局の前に立つと、これが郵便局?といった感じのオシャレな外観に、まず、びっくり。中に入ると、白いしっくい天井から、ほんのりと日の光が漏れてくる。そして、すべての家具が、ヴォーリーズが建てたころのものではないらしいのだけれど、置かれた木製の家具と、小じんまりとした空間が、やさしいハーモニーをかなでてくれる。
一階の左手には、今は古美術のお店が入っているが、裏口に出るような感じで部屋の奥のドアを開けると、二階へつながる階段が。その二階は、ヴォーリーズと、彼の奥さんだった一柳満喜子(ひとつやなぎ・まきこ)に関する写真や資料などの展示室となっている。ちなみに、太平洋戦争の始まった年の1941年に、日本人として帰化したヴォーリーズの日本名は、一柳米来留(ひとつやなぎ・めれる)。「米」(アメリカ)からやって「来」て、日本に「留」まるという、ヴォーリーズらしいウィットに富んだ命名だ。おそらく、ユーモア―たっぷりの人だったにちがいない。
エッセイ欄でも紹介した(http://shiga-motherlake.jp/essay/essay01.html)が、近江八幡の町をこよなく愛したヴォーリーズが残したサインは、ちょっと感動的。ここ旧八幡郵便局は、ヴォーリーズの空間と彼の人となりの両方を見ることができる格好の場所なのだ。
景色を満喫した後は2階のミシガンカフェへ。私はデザインのステキなグリーンソファをゲット。この日4月29日は、ミシガンクルーズ30周年記念だったので、特別に30周年記念コーヒーが販売されていた。コーヒーのお値段は500円と大学生の私にとって少し高めだったけれど、記念のマグカップをプレゼントしてもらったので、なんだか得した気分に。