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旅歩き

2013 / 05 / 03

医王寺(いおうじ)

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医王寺(いおうじ)

医王寺観音堂医王寺観音堂

医王寺(いおうじ)

おだやかなお顔の十一面観音像で知られる湖北の寺、医王寺(いおうじ)は、JR北陸線の木之本(きのもと)駅から高時(たかとき)川沿いに、クルマでさらに10分ほど走った奥深い山の中にある。今は無住のお寺で、十一面観音像(重要文化財)を拝むには、あらかじめ拝観の予約が必要。

平安時代後期の作とされるお像は、明治時代に、当時の寺の僧侶が、長浜の古物商の手にあったのを買い受けて、薬師堂に祀ったものだそう。おそらく、その時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の流れの中、どこかのお寺から流出したお像が、商の人の手に渡っていたのかも。やがて観音堂を寄進する人があり、それが今の観音堂と十一面観音像の由来に。お像は、明治34年に国宝に指定され、戦後の文化財保護法の制定により、今は重要文化財となっている。

左|入り口に建つ石碑 / 右|本堂のそばに、こんなかわいらしいお地蔵さまも左|入り口に建つ石碑 / 右|本堂のそばに、こんなかわいらしいお地蔵さまも

里の人の案内で観音堂へ上がり、正面の幕がひかれると、高さ152センチ、クスノキの一木づくりの像があらわれる。高く仰ぎ見るかたちで対面するお像は、実際の寸法よりもずっと大きく見える。流れるような衣紋(えもん)の美しさ、そして頭の上の十一面のお顔や宝冠(ほうかん)のつくりの細やかさは、作った人の腕の確かさをじゅうぶんに感じさせてくれる。

けれど、この観音像の魅力は、実はそうした技巧のうまさを超えるところにあるように思われる。それは、あたりの森が深ければ深いほど、またお堂のたたずまいが素朴であればあるほど、このお像に対して一心に集まった里の人々の信仰の深さとでもいってよいのかもしれない。たぶん、お像は、古物商の手に渡る前から、この己高山(こだかみやま)すそのどこかのお寺で、何百年にもわたって、人々の心のよりどころとなっていたにちがいない。

お像が、井上靖(いのうえ やすし 1907?1991年)の小説「星と祭」という琵琶湖を舞台にした悲しい物語の中に、「清純な乙女の観音さま」として出てくる話は広く知られている。お像の話が出てくるのは、娘と息子を琵琶湖のボート事故で亡くした父親同士が、夜の湖上に船を出し、月光の輝く夜空に、十一面観音と子供たちの面影を重ね合わせる、小説の最後の下り。

観音菩薩さまは、仏さまになられる前の、修行中のお姿。また、お釈迦さまの若いころのお姿ともいわれる。そのせいか、仏像の中でも、そのお顔や表情は人のそれに近い感じが。小説の中で、子供を不慮の事故で亡くしたそれぞれの親は、巡った寺々の十一面観音のお像の顔を思い浮かべながら、長かった嬪(もがり)の期間に終止符を打つ。