彦根城
彦根城
日本には、戦国時代から江戸時代の初めにかけて作られたお城がいくつかあるけれど、
その中で国宝のお城はいくつあるか知っていますか。正解は、兵庫県の姫路城、愛知県の犬山城、長野県の松本城、
そしてここ滋賀県の彦根城の4つ。国宝に指定されている理由は、天守閣が残っていること、
そして建てられ当時の建物がよく保存されていることなどいくつかあるのですが、ここ彦根城もそのひとつというわけ。
JR彦根駅でおりて、駅前からまっすぐ伸びる大通りを10分も進むとやがて、お城を囲むお堀が見えてきて、
なんとなく城下町、という風景が広がってきます。そして、近所のお店や旅館らしき建物の前には、いました、いました、あの「ひこにゃん」が。
今や彦根の町は、お城に加えて、ひこにゃんが町のシンボル。お城の入り口にも、「本日のひこにゃん」の出番を紹介するボードがしっかり掲げられていました。
入場料を払って、お城の見学入り口を通り過ぎると、石段の坂道が少しずつ急になってきました。
しかも、石段の配置がとても不規則で歩きづらい感じ。聞くところによれば、戦(いくさ)のとき、
攻め上って来る敵の馬の脚のリズムを崩すためだとか。なるほど、と納得しつつ、フウフウと息をつきながら登って行くと、
やがて天守閣がある本丸の広場へ到着。ありました!国宝、彦根城。やっぱり、感激。
三重の天守閣は、京極高次(きゅうごくたかつぐ)が築いた大津城を移築したものとされ、
完成は慶長十二年(1607年)頃とか。特徴は、破風(はふ)と呼ばれる、屋根の切り口部分の三角形の形状。
垂直に切り落とされた感じの切妻破風(きりづまはふ)、少しだけ屋根瓦の奥まった入母屋破風(いりもやはふ)、
そして盛り上がった曲線を見せる唐破風(からはふ)。これらが、幾重にもかさなって、優美な姿を見せています。
そして、もうひとつの特徴が、石垣の積み方。お城の石垣といえば、同じような大きさと形の石が、
きれいに組みあげられているのを思い出しますが、ご覧のようにここの石積みは、一見、乱雑な感じに。
牛蒡積(ごぼうづみ)と言われるこの手法は、実は、石垣にかかった力をいろんな方向に分散させることができて、むしろ頑丈な積み方なのだとか。言われてみれば、納得。
そして、天守閣の内部も見学できるということで、さっそく挑戦することに。
内部はどこも板の間と林立する柱組で、意外に簡素なつくり。当然ながら、戦になれば、
最後の砦(とりで)となるわけで、外観とは違った機能重視の作りであることが一目瞭然。
とくに二層目、三層目と上階になるにしたがって、階段は急傾斜に。敵の攻撃を防ぐためには仕方ないとはいえ、
私たち観光客は、手すりにしがみつかないとちょっと足元が危うい感じ。ということで、天守閣内部の見学にあたっては、
手荷物をできるだけ少なくしておくことがおススメです。
少し時間の余裕もあるので、お城の背後の道を下って、玄宮園(げんきゅうえん)と呼ばれる、
回遊式の庭園も見学することに。その下り道は、登り口とは打って変わって、自然の林と、ところどころ城の石垣が見え隠れして、
いかにも古城の趣にあふれています。不規則な石段配置でやはり足元はおぼつかないのですが、かつてのお城の雰囲気を味わうには、
むしろこの天守閣から玄宮園へと降りていく下り道がおススメかも。
坂道を降り切ると、玄宮園の入り口がすぐ目の前に。この庭園は、彦根藩四代目当主だった井伊 直興(いい なおおき)が、
延宝五年(1677年)から、七年の歳月をかけて完成した回遊式の庭園。回遊式庭園とは、池を庭園の中心に配置し、
そこ巡りながらさまざまな風景を楽しめるように作られたもので、江戸時代の大名が好んだ庭園の様式。
その名前を、中国の唐の時代、玄宗皇帝の作った離宮の名前にちなんで名づけられたという、この玄宮園も、
江戸時代を代表する庭園のひとつ。茶室の建物なども点在する園内は広く、お城の見学も合わせると、
想像するよりも見学時間に余裕をみておくことが、ゆっくり庭園の鑑賞にひたれるコツかもしれません